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更新日:2025年6月6日

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江戸時代の北山用水

八ヶ村(後に万野原新田が加わる)は、水を得ることができました。しかしその一方で、これらの施設は富士山の浸食谷からの土石流によって、しばしば半壊・全壊の被害に遭ったため、村々はその維持に頭を悩ませることになりました。
というのも、半壊・全壊した施設の大規模な工事が必要となった時、当然村々では負担することができない莫大な費用が必要となります。その場合、本来頼みの綱は村々を治める領主となります。しかし各村を治める領主の多くは貧乏な旗本ですので、なかなか村々の嘆願は通りませんし、領主同士で費用負担等についての意見が合いません。また、実施が決まっても、領主たちはできるだけ工事費用を抑えようと、落札額さえ値切りました。

 そのため村々は、お金を出し合い、沢の上流に土石流から樋を守る「堰」と呼ばれる施設を作ったり、用水路や堰の見回り・掃除・補修をこまめにしたりするなどをして、大規模な工事が生じないように工夫をしていました。

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 今回紹介した話は、江戸時代の北山用水にかかわるほんの一つにすぎません。旧北山村役場に伝わった資料群(富士宮市立郷土資料館所蔵)を読むと、北山用水の維持管理と、それまつわる様々なドラマを詳細に、生々しく知ることができます。興味のある方はぜひ資料群を読み解いてみてください。
 

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