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富士宮市内の指定等文化財
富士宮市内の指定等文化財について紹介・情報発信をしています。
指定等文化財一覧
文化財は、我が国の長い歴史の中で生まれ、はぐくまれ、今日まで守り伝えられてきた貴重な国民的財産です。このため国や各自治体では、文化財保護法や文化財保護条例に基づき、文化財の中の特に重要なものを指定等し、現状を変更する行為について一定の制限を課す一方、保存修理や防災施設の設置等に対し補助を行うことにより、これらの文化財の保存を図っています。
富士宮市内には、現在、指定文化財87件(うち国21件・県25件・市41件)、国登録有形文化財1件があります。各文化財の名称・所有者(管理者)については、下記の指定文化財の一覧表をご確認ください。
お知らせ
「長屋門」が国登録有形文化財※(建造物)に
富士宮市民に「長屋門」の愛称で知られる「旧川成島陣屋長屋門」(富士宮市大宮町1347-1)について、市が国登録有形文化財(建造物)への登録を申請したところ、7月17日(金)に開催された国の文化審議会の審議・議決を経て、文部科学大臣に登録するよう答申されました。今後、官報告示を経て、本市内の国登録有形文化財(建造物)は2件になる予定です。
なお、現在の本市の国登録有形文化財(建造物)は、「吉澤家住宅煉瓦蔵」1件(下写真)です。

文具の蔵Rihei(富士宮市宮町8-29)の敷地内にある煉瓦造りの蔵。明治時代、市内では煉瓦を使用して蔵を造ることが盛んに行われましたが、近年は壊されて減少しており、この蔵は明治時代の富士宮市を知る貴重な建物となっています。明治24年(1891)建築。平成27年(2015)3月26日登録。
※文化財登録制度は、急速な開発や生活様式の変化により消滅の危機にある近代の建造物などを、従来の厳しい「指定制度」を補完する緩やかな規制(届出制)によって幅広く保護し、同時に事業や観光などの地域資産として積極的に活用して後世に継承することを目的に平成8年に始まった制度。令和8年7月現在、登録された文化財は15,000件を超えます。
「旧川成島陣屋長屋門」の概要・評価
江戸時代後期の旗本であった本郷泰固は、安政4年(1857)江戸幕府の若年寄に抜擢され、武蔵、上総、遠江のほか現富士市の川成島も所領地とする大名となり、川成島の天王社前(現在の新富士駅南口付近)に本拠となる陣屋を築き、長屋門も築造したといわれます。
明治以降、この屋敷は地元用人の和田家に引き継がれましたが、昭和14~15年(1939~1940)に、この屋敷の大部分が取り壊されることとなりました。しかし、これを惜しんだ和田家の親戚筋で、当時、大宮町(現富士宮市)で料亭「高しま家」を大々的に営んでいた遠藤家がこの長屋門を料亭の門として譲り受け、現在地に移築しました。
大宮町は花柳街として知られていた地域で、最盛期の昭和12年(1937)前後には百数十人の芸妓が存在したといいます。当時、繭の取引や繭を用いての製糸工場が多くなり、成金を生み、そのため町には常盤家、新杵家、高しま家という高級料亭が成立しました。最盛期には新杵家と高しま家が50人ずつの芸妓を擁していたという。長屋門の移築はその頃の花柳界を象徴する出来事だったのではないかと考えられます。
さらに、高しま家が閉鎖された後、富士宮市が土地、建物を買い取り、“長屋門「歴史の館」”として、富士宮市の歴史や世界遺産・富士山の価値を伝える展示施設となり、現在は、カフェ・レストランの入口の門として使われています。
長屋門は、江戸時代末期に建築された陣屋の長屋門としての形式、形態、姿をよく残していることは貴重なものです。また昭和前期に屋敷全体が解体されようとした時、重厚な造りの建築の価値を理解し、長屋門だけは解体することなく移築され、料亭の玄関門、そして富士山の価値等を伝える展示施設、さらにカフェ・レストランの入口門として利活用が継続され生き続けてきたことは、国土の歴史的景観に寄与している(登録有形文化財登録基準(一))に該当するものと考えられます。
(塩見寛氏作成「旧川成島陣屋長屋門所見」より)

旧川成島陣屋長屋門外部・内部写真
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