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「富士宮市70年のあゆみ」展

2014年08月12日掲載

市制施行から70年間の富士宮市のあゆみについて掲載しています。


富士宮市は、昭和17年(1942)、大宮町と富丘村との合併をもって、全国で192番目の市として誕生しました。以来、昭和30年(1955)には富士根村と、昭和33年(1958)には北山村・上野村・上井出村・白糸村と、平成22年(2010)には芝川町と合併し、現在の富士宮市となりました。そして、今年、富士宮市は市制70周年の節目を向かえます。

合併の歩み

1.富士宮市誕生以前

江戸時代の終わり、富士宮市域には48ヶ村町があった。明治維新後は戸長制度や戸籍組合制、大区小区制など度々行政組織が変遷したが、明治21年(1888)の市制及び町村制の制定を受け、明治22年(1889)、大宮町・富丘村・富士根村・北山村・上野村・上井出村・白糸村・芝富村・柚野村・内房村が成立した。

2.富士宮市の誕生

昭和17年(1942)、隣接する大宮町と富丘村とが合併し、「富士宮市」が誕生した。当時の人口は34,010人、全国で192番目の市であった。この時期は国防体制強化のために市町村合併が求められており、近隣の吉原町(現富士市)や沼津市でも合併が進められた。

3.市域の拡大

戦後になると、社会の変化を受けて全国的に市町村合併が促進され、いわゆる昭和の大合併が起きた。富士宮市も合併が進められ、昭和30年(1955)には富士根村が、昭和33年(1958)には北山村・上野村・上井出村・白糸村が富士宮市に合併した。また、芝川地域では、昭和31年(1956)に内房村と芝富村が合併して富原村が誕生し、翌年にはさらに柚野村と合併し芝川町となった。 その後は長く1市1町制が続き、いわゆる平成の大合併が全国的に進む中で、平成22年(2010)富士宮市と芝川町が合併し、現市域となった。

数字でみる富士宮市のすがた

項目 平成24年 昭和17年
人口 135,679人(男67,007人・女68,672人) 34,010人 *現在の約1/4
世帯数 51,926世帯 6,058世帯
面積 388.99平方キロメートル 36.2平方キロメートル *現在の約1/10
人口密度 348.80人/平方キロメートル 937.17人/平方キロメートル
広がり 東西20.92km・南北32.63km
海抜 最高3,776m ~ 最低35m (市役所庁舎は125.58m)
気象 最高気温34.5℃・最低気温 -4.1℃ 年間平均気温 16.1℃・年間降雨量 2905.0mm

写真で見る富士宮市のあゆみ

年表に見る富士宮市のあゆみ(概略版)

富士宮市の主な出来事
昭和17年(1942) 大宮町と富丘村が合併し、富士宮市が誕生する。陸軍少年戦車兵学校(上井出)が開校する。
昭和21年(1946) 西富士開拓事業始まる。
昭和24年(1949) 「狸沼」が「田貫湖」に改められる。
昭和25年(1950) 富丘分離問題が解決する。
昭和26年(1951) 第1回マス釣り大会・第1回白糸駅伝(現富士宮駅伝)大会が開催される。県営田貫湖キャンプ場が開設される。逢来橋(つり橋)(沼久保)が開通し、沼久保・松野間の渡船が廃止される。釜口橋(鉄橋)が完成する。
昭和27年(1952) ダイナ台風により被害が出る。不正投票の告発をきっかけに上野村村八分事件が起きる。
昭和31年(1955) 芝富村・内房村が合併し、富原村が誕生する。
昭和32年(1957) 富原村・柚野村が合併し、芝川町が誕生する。
昭和33年(1958) 上野村・北山村・上井出村・白糸村・富士宮市が合併する。
昭和34年(1959) 逢来橋(コンクリート橋)(沼久保)が完成し、渡船が廃止される。台風7号の被害を受ける。
昭和35年(1960) 北部地区が深刻な水不足になり、自衛隊の給水活動を受ける。
昭和36年(1961) 富士宮鉄工団地組合(万野原新田)が結成される。
昭和39年(1964) (株)仁丹テルモ(現テルモ(株))富士工場(三園平)、富士写真フイルム(株)(現富士フイルム(株))富士宮工場(大中里)が稼動する。小田急花鳥山脈、朝霧グリーンパークが開園する(朝霧高原)。
昭和40年(1965) 有料道路「富士宮道路」(現国道139号線上井出・根原間)が完成する。
昭和43年(1968) 近江八幡市と夫婦都市提携を調印する。ダンプ公害が深刻化する(長貫・羽鮒)。
昭和45年(1970) 市立郷土資料館(宮町、現在の市民文化会館北側駐車場の場所)が開館する。表富士周遊道路(現富士山スカイライン)が全面開通する。芝川バイパスが完成し、ダンプ公害が解消される(長貫・羽鮒)。
昭和46年(1971) 第13回世界ジャンボリー開催。
昭和48年(1973) 学校給食センター(北山)が完成する。
昭和49年(1974) 星山放水路が完成する。
昭和50年(1975) 清掃センター(山宮)が業務を開始する。
昭和51年(1976) 芝川町営総合運動場(現芝川スポーツ公園)(西山)が完成する。
昭和54年(1979) 台風20号により被害が出る。
昭和56年(1981) 富士宮駅前の大鳥居が解体撤去される。市民文化会館が開館する。市立郷土資料館が市民文化会館内に移転する。新内房橋(内房)が開通する。
昭和57年(1982) 星山浄化センター(星山)が完成し、下水道の供用が開始される。西富士道路が開通する。
昭和58年(1983) 富士宮駅前広場が完成する。現在の富士宮駅舎が完成する。
昭和61年(1986) 芝川B&G海洋センター(西山)が開館する。表富士工業会(山宮工業団地)が設立される。
昭和63年(1988) 衛生プラント(星山)が完成する。芝川町役場庁舎(現芝川会館)(長貫)が完成する。
平成元年(1989) 市立中央図書館が現在地(宮町)に開館する。
平成2年(1990) 芝川橋(大久保)が開通する。市民体育館が現在地(外神)に開館する。
平成3年(1991) 市民プールが現在地(外神)にオープンする。現在の市役所庁舎が完成する。
平成5年(1993) 西富士図書館(上井出)が開館する。尾崎トンネル(内房)が開通する。
平成6年(1994) ダイナ橋(内房)が開通する。
平成7年(1995) 新稲子川温泉ユー・トリオ(上稲子)がオープンする。警視庁がオウム真理教の強制捜査に着手し、富士山総本部(人穴)で家宅捜索が行われる。
平成9年(1997) 県道富士宮芝川線羽鮒高架橋(羽鮒)が開通する。
平成10年(1998) 富丘地区で異常湧水が発生する。
平成11年(1999) 逢来橋(沼久保)が現橋に架け替えられる。
平成12年(2000) 道の駅朝霧高原がオープンする。休暇村富士・田貫湖ふれあい自然塾がオープンする。
平成13年(2001)。 北山工業団地が操業を開始する。オーミケンシ富士宮工場跡地(浅間町)にイオン富士宮ショッピングセンターがオープンする。
平成15年(2003) 硫酸ピッチ不法投棄事件が起きる(大中里)。
平成17年(2005) 石神峠林道(上稲子)が開通する。
平成22年(2010) 富士宮市・芝川町が合併する。第15回日本ジャンボリーが開催される。かみつき猿が出没する。
平成23年(2011) 静岡県東部地震により被害が出る。淀師地区で異常湧水が発生する。
平成24年(2012) 西富士道路が無料化される。市制70周年を迎える。

お問い合わせ

教育委員会事務局 教育部 文化課 埋蔵文化財センター

〒419-0315 静岡県富士宮市長貫747番地の1

電話番号: 0544-65-5151

ファクス: 0544-65-2933

メール : maibun_center@city.fujinomiya.lg.jp

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